子育ての森の中でもひときわ大切な木があります。
大きく大きく育ってほしい大切な木、絆の木です。


 NHKテレビの報道によれば、我が国乳幼児が子守りがわりのテレビを視聴している時間は2004年の時点で平均3時間強といいます。これは一体何を意味しているのでしょうか。お母様がたった一人で子育てに励んでいらっしゃることを訴えている数字ではないでしょうか。

 そして今、テレビは2004年ごろと比べて遥かに大画面化し、ハイビジョン化し、巨大な子守役として乳幼児の目の前に置かれているのではありませんか。

 そうなっている赤ちゃんたちの人権はどうなるのでしょう。一人で子育てに励んでいるためにそうせざるを得ないお母さまは、とても苦しい立場に立たされているのではありませんか。

 私たちすべての国民一人ひとりが、この状況を直視し、胸に手を当てて現状を考えてみる必要があるのでは、と思います。

 僅か30〜40年前の昔を振り返って考えてみても、赤ちゃんの置かれている環境は、このような状況では全くなかったと記憶しています。

 私は保育の専門家ではありませんので、想像にまかさざるを得ない部分があります。この点はご寛容下さい。そして、30年〜40年前の一般的状況を必ずしも正しく把握しているわけではありません。このため、私自身の体験のみで絆の木の大切さをお話させていただきたくことを最初におことわりしておきたいと思います。

 現在、ピアニストとして活躍している長女が誕生したのは米国ニュージャージ州のレッドバンクという小さな田舎町でした。近隣には日本人は全く住んでおらず、母一人、子一人の子育てにならざるを得ない状況でした。

 長男が大阪府箕面市に誕生したとき、私の家族は6才上のお姉ちゃんを含めての四人家族、いわゆる核家族です。

 以上のような状況を救ってくれた幾つかのお話を紹介させていただき、子育てにおける絆の木の大切さを私の体験から考えてみたいと思います。

その1:ローズ・マリーさんの存在


 私の妻(つまり、当たり前のことですが娘の母親)は米国の大学、イーストマン音楽院でピアノを学んでいました。長女の誕生後の1ヶ月強を妻の大学時代の友人、ローズマリーさんが住み込みという形で子育て支援のため、はるばる1000kmの距離を越えて来てくれたのです!

 彼女には子育ての経験はなかったのですが、米国風子育て法には十分に習熟していました。家内の子育てに伴う“不安”を持ち前の明るさで吹っとばしてくれました。妻は長女をローズマリーさんにまかせて、近くのスーパーで買物をしたり、家のまわりをのんびり散歩して、息抜きしたりすることができました。
 ドイツ系の両親をもつローズマリーさんがドイツ風料理やスイートを作ってくれます。私達の子育ての苦労、不安を吹っとばしてくれました。

その2:米国の父親は子育て参加の機会にめぐまれています。


 私が勤務した会社では残業は許されず、全員が夕方5時に退社させられます。ほとんどの従業員が会社から10〜20kmの距離(くるまで20分くらい)のところに住んでいます。しかも土・日は完全にお休みです。私はこのため長時間、子育てに参加することができました。

 数ヶ月から一才ぐらいの赤ちゃんの子育て真っ最中という勤務先の友人達が盛んに訪ねてきて、さまざまなアドバイスをしてくれます。育児に伴う不安を解消してくれます。

 なかでも、親友であるソール夫妻が、生後6ヶ月くらいのマイク君を伴って、週末に訪ねてくれましたが、私は、このとき、育児に奮闘するソール君の父親ぶりを強い印象で目の当りにしました。ちょっと紹介させていただくと、

などなどです。

 年次休暇が2〜4週間はありますので、これを利用して育児休暇に丸々当てることができます。“納期が迫っている”という会社にとって重要な時期であっても、またプロジェクトのリーダーであっても、休暇は好きな時にとるという風習があったと思います。“え、それ本当?!”と思われるかも知れませんね。

 そこで、少しお話を脱線させていただきましょう。

 私はイチローや松井など、日本人選手が活躍する大リーグの試合をよくテレビ観戦していましたし、今もそうしています。

 ある日、驚いたことに相手チームの監督が非常に大事な時期というのに“娘の入学式のため”という理由で試合に出れないとアナウンサーが言うではありませんか!!

 監督だけではありません。天下分け目の戦いのような大事な試合に、中心選手が奥さまの出産のために試合を休むというではありませんか!

 我が国のプロ野球選手、そして監督でこんなことが考えられるでしょうか。

  私はずっと長い間、米国よりも日本の方が家族の絆は強いと信じてきましたし、今もそうなのではないかという気が依然としてします。最近“絆”という言葉をテレビ番組でよく耳にし、そして新聞紙面でも盛んに目にしますから・・・。

----------------------------------------------


ここでお話の広場です



 子育ての森の中の絆の木。育てるのがとても難しく、苦労する木です。

 先程お話しましたようにNHKの報道によれば我が国乳幼児が子守りがわりのテレビを視聴している時間は、2004年の時点で3時間14分ということでした。
 現状はどうなっているのでしょう?

 “笠原先生、そんな状況にある乳幼児はたった一握りに過ぎませんよ!”、
 “沢山の‘育メン’が子育てに励んでいるではありませんか!”
 “カラフルなテレビ画面は乳幼児に適当な刺激を与え、役に立つのではありませんか?”

 こんな声、声、声に現状を正しく直視しようとする姿勢は消されてしまっているのではありませんか。このことを考えてみたいと思います。

 私が子供の頃、五人兄弟、六人兄弟の家はざらでした。お兄ちゃんやお姉ちゃんが背中に末っ子をおんぶして外で遊んでいる姿も珍しくありませんでした。長男の家族の場合にはおじいちゃん、おばあちゃんが一緒に暮していました。向う三軒両隣り。こんな“絆”がたっぷりありました。

 “子育て支援”こんな声は私の子供の頃には全く聞こえてきませんでしたし、声を上げる根拠も、必要もなかったでしょう。

 今、叫ばれ、実行されている“子育て支援”。この大切な事業の向う先に“たった一人で子育てに励んでいらっしゃるお母様の現状。少子化、核家族化の進展、仕事人間を称える社会的風潮の中で次第に孤立化していった母一人、子一人という現在の状況。急速に変貌する子育て環境の実態。この状況を国の力、人の力によって温かく支援すること”が、“子育て支援”の中心にあってほしいと私は心の底から願います。

----------------------------------------------


その3:おばあちゃんの存在


 長女を背におんぶして、私どもが米国から帰国した頃、母はまだ60才を少し過ぎた年令でした。帰国して間もなく、妻は一週間に一度名古屋に仕事で出かけるようになりました。このため私達は一週間に二日間、京都に住む両親と同居して二才の長女の面倒を見てもらうことにしました。私が一緒にいるときでも夕方になると、娘はだんだん「なごや」に出かけている母が恋しくなるのでしょう。むづかり始めます。

 こんなとき、おばあちゃんは背中に娘をおんぶしてシュッポ、シュッポと“電車ごっこ”よろしく庭をかけまわります。そして時折止まって“なごやあぁー”と叫びます。娘は気が紛れるのでしょう。“けらっ、けらっ、けらっ”と声を立てて笑います。“なごやあぁー”、“けらっ、けらっ、けらっ”、“なごやあぁー”、“けらっ、けらっ、けらっ”の連続でした。
 二才だった娘は、このことを覚えてはいませんけれど、おばあちゃんの“ぬくもり”はしっかり胸の中に納められているに違いありません。

 私の息子が生まれたとき、京都で父と一緒に暮している母、つまり息子にとってのおばあちゃんは、このとき70才に近い高齢でしたが、大阪府箕面市までの2時間の道程を遠しとせず、ひんぱんに通ってくれ、子守を引き受けてくれました。息子が一才になり、子育てが一段落すると妻は、一週間に一度京都に通って、仕事を再開しました。一才の息子の面倒を見るために母は毎週2泊3日の予定で、我が家での子守を引き受けてくれたのでしたが、その後も息子が鍵っ子になることを心配して中学3年生になるまで欠かさず来てくれました。この後、父が亡くなり、母は私どもと同居するようになりました。おばあちゃんが、大阪府箕面で子育てを助けてくれている間、京都に住むおじいちゃんは3日間、不自由な一人暮らしをして、私達の子育てに協力してくれていたのでした。
 母の唄っていた沢山の子守唄のお話。これは第7章でお話させていただきました。是非ご高覧下さい。

その4:S.Nさんの存在


 私の息子が誕生した直後の一ヵ月間、三重県津市からS.Nさんが助っ人として私たち家族と起居をともにしてくれました。妻がS.Nさんにピアノを教えていたという“絆”がありました。彼女は炊事、買い物、料理、洗濯・・・、22,3才という若さでフル回転してくれました。
 このときのS.Nさんとの忘れ難い思い出の一つをお話させていただきましょう。

 私は息子の誕生直後、不用意なことに風邪をひいてしまいました。大切な息子に風邪をうつしたら大変。私はこう考えて、マスクをしていてもさらに10m以上の距離を置いて息子の顔を眺めていました。

 2週間ほど続いたでしょうか。S.Nさんが、私に向って“先生!いいかげんにして下さい。先生の風邪はしっかり治っていますよ。大丈夫ですよ!”。このS.Nさんの一喝で、私は生後3週間の息子をそっと胸にだっこしたのでした。

 彼女は一ヶ月間、住み込みで助けてくれました。彼女の持ち前の明るさが子育てに伴う不安を吹き飛ばしてくれたと思います。

その5:子育てに大切な向う三軒両隣りの“絆”


 長男が誕生した日、私には忘れられない思い出が二つあります。

 妻の陣痛が始まったのは12月の寒い朝、4時頃のことでした。当時マイカーは私の家にはありませんでした。
 “頼むは近所!”、この考えが私の頭に浮かぶのに、数秒の時間も要しませんでした。粉雪が舞う中、隣りのTさん宅のインターフォンを何度も鳴らし、ご主人をたたき起こしました。

 ご主人は飛び起きて下さり、着替えも慌ただしく妻と私を乗せて5時前には病院に到着しました!そして長男が午前7時に無事誕生です!

 私は喜びを胸いっぱいにお昼前に病院から自宅に戻りました。このとき家の前で隣家のHさんにバッタリ出会いました。このとき既に息子が誕生したことは近所に知られわたっていました。Hさんは満面の笑みで、“一人目が女の子、二人目は男の子!嬉しいでしょ!嬉しいでしょ!嬉しいでしょ!”、こう何回も言って私を祝福してくれました。

 その日、向う三軒両隣り、沢山の祝福の言葉を私はもらいました。

その6:子育てに大切な同僚の“絆”


 長女が米国で誕生した日の翌日、私はいつも通り会社に出勤しました。ここでクイズを一つ:

 クイズ1:私は缶にいっぱい入れた葉巻タバコそしてチョコレートを一箱持っていきました。どうしてでしょう?
 ヒント: 葉巻タバコの入れ物の缶には
It’s a girl!
      と赤い字で印刷されています

 答: 女の子が生まれたとき会社の同僚一人ひとりを仕事場に尋ねてたっぷり祝福を受ける習慣がありました。私は、同僚たちから祝福を受けて“有難う!葉巻き?それともチョコレート?と尋ねます。タバコが好きな人は葉巻きを、甘い物が好きな人はチョコレートを選びます。
 タバコの健康被害を考える習慣が米国は強いのでしょう。チョコレートが圧倒的に人気がありました。

 おことわり:これは何十年も前のお話。米国ではタバコの健康被害を憂慮する風習が数十年前に比べ遥かに強くなっているように思います。したがって葉巻きタバコは他の物に換わっているかも知れません。しかし、現状を把握していません。申しわけないです。

 数十名の同僚から祝福を受けていると午前中の仕事の時間は飛んでしまいます。
 会社の同僚達からこうして祝福をたっぷり受けるわけです。忘れ難い心温まる思い出です。

 誕生後間もないと思われる赤ちゃんを会社に連れてくる風景は珍しくありませんでした。赤ちゃんを優しく抱くお母さんのまわりには、たちまち10数人の輪ができます。 人々は満面の笑みを浮かべて、
  “エドマラブル(あっぱれな。りっぱな。みごとな)”、“エドマラブル”
と口々に祝福の言葉を投げかけています。
 私はこのとき、“キュート!(可愛い!)”と言うべきかなと迷ったのでしたが、思い止まり、私も“エドマラブル!”と祝福の言葉を投げかけました。“サンキュー”“サンキュー”とお母さんは大喜びでした。

続きは後日。乞ご期待!!


子育ての森を皆様の温かいサポートをいただいて、大きく育てていきたいと思います。ご期待ください。週ごとに月ごとに各章の内容が追加され、新しい章が参加します。森の木々が大きく成長していきます。