基本方針 その1

すなおな子に育てること。

すなおな子=大人しい子ではありません!


人の言葉に耳を傾ける余裕のある深い心をもった子供のことです。


すなおな子に育てるために(一つの例)

―― 散歩道でのいつもの会話 ――
子供を連れての楽しい散歩道。近くに水鳥が子育てに 励む池があります。

私はこの池に向って小石を投げます
(水鳥が驚かないように注意しながら・・・)

こんな会話を交わします。

すなおな子に育てるために

(相手のレベルに余裕をもって
 合わせることが基本です)

基本方針 その2

感性に富んだ心を育てる。

         

“今の仕事をやめたら、紙芝居のおじさんに十分になれるぞ!”
こんなことを思い浮かべて読んであげると自分も楽しくなりますよ!

感性に富んだ心を育てる(一つの例)

クイズの答

息子が1才未満の頃、私は息子をだっこして散歩をよくしていました。

花を見つけると、私は思わず “わあっ きれい!!きれいねえ・・・” とほほ笑みながら叫んでいました。

(一人ではこんな声を出しません。1才未満の息子でも同意してくれるからできることです)



“きれい!=花”
と、息子は理解していたのでした。


すなおな子とは?

森の中の“小さなやせた木”

 子育ての森の中に“小さなやせた木”が生えています。まわりの木がどんどん大きくなっていくために枯れていく木です。この木の名は“すなおになれ!!”、“言うことを聞きなさい!!”の木です。
 この言葉、残念ですが、“開けごま!!”のような効果は期待できないでしょう。

 本人が納得しないまま、この言葉に鵜呑みの状態で従っていたとしましょう。・・・・・・一見すなおな子に見えます。しかしこの姿勢は、結局は以下のような結果をもたらすでしょう。つまり といったことになるでしょう。

 鉄は熱いうちに打てといいますよね。一緒に遊び、一緒に楽しく絵本や本を読み、歌を唄う・・・。そして自立力、すなお力を育てましょう。幼いうちに。鉄が固まってしまわないうちに・・・。





お話の広場(その1)


 最初のお話のテーマは
“感性こそが国力なり!!”
です。国民一人ひとりが持つ豊かな感性。 これこそが国家を支える大きな力となるでしょう。“子育ての森らしく分かりやすい具体例で考えてみましょう。

 私の住んでいる大阪府箕面市は緑豊かな北摂の山々が連なり、四季折々の風景が人々の心をなごませてくれます。
 箕面は、もみじの町で知られ、紅葉のシーズンには大阪市内の人達もマイカーで沢山訪れてきます。

 こんな紅葉シーズンのある日、いつもならば10分ぐらいの道を自宅に向けくるまを走らせていました。あぁ、道路はもの凄い渋滞です。どうしようもありません。たった一つの信号を越えるのに5分、10分待ちの状況です。助手席の妻は、“この混雑、どうにかならないの。近所迷惑な話ね”とうんざり顔でため息ばかりです。

 しかし、私はにこにこ顔です!
“喜びなさいよ! だって僕はさっきからこの渋滞を結構感謝の気持で楽しんでいるんだから”
 妻はこの私の発言にけげんな顔です。私は言葉をつづけます。
“もみじを見たい。美しい風景を見たい。こんな人達でいっぱいなんて素晴しいことじゃない?!
 もしも、もしもだよ。近い将来、“もみじなんて見に行ったってしようがない!”こんな人達ばかりになったらどうする? 昔は見物客で道路は大渋滞だった。なのに今はガラガラ、なんてことになったら僕はとても寂しいな…“

 こんな会話があったと思います。私はノロノロ運転を楽しみました。みんな感性に富んでいるんだ! こんな思いがこみあげてくるからです。

 色とりどりの紅葉をバックに流れ落ちる箕面の大滝。落差33メートル。日本の滝、百選にも選定をされている名滝です。そのまわりに飲食店やみやげ物店が立ち並び、お店は満員の状況です。滝やもみじをバックに写真をとったり、とても眺やかで活気にあふれています。
 美しいもみじを見たい。はるかに見あげる山間(やまあい)を流れくだってきた箕面川の流れが、突如岩石に当たってくだけ、ごう音を立てて、流れ落ちてくる滝を目(ま)の当たりに見たい。
 豊かな感性があるからこそ2時間、3時間の時間をかけて足を運んで来るのですね。

“もみじなんて見たってしようがない! テレビででも、もみじの風景は十分見れるんだから。“ 近い将来こんなことにならないでしょうか。ハイビジョン、立体映像の大型テレビが益々発展し、コストダウンされ各家庭に普及しても大丈夫でしょうか。私は少し不安です。
 こんなことになれば、箕面のもみじを背景にした大滝のまわりのお店はなくなるでしょう。観光客を期待していた町中のお店や旅館はすっかりさびれるでしょう。
 感性豊かな人達があふれてこそ国力が増し、活気にあふれるのではないでしょうか。

 日本には沢山の名所、旧跡があります。私は年に数回、妻と2泊3日ぐらいの予定で訪ねます。私達を迎えてくれる旅館の人達は私達が初めてのお客であっても、とても温かく迎えてくれます。

 私達は外国の町を沢山訪れましたけれど、我が国の旅館がナンバーワンではないでしょうか。それにタクシーの運転手さん達、これも世界のナンバーワンではないでしょうか。それだけに日本国内の旅行はとても楽しいと私は思います。日本の旅館の文化を守りたいと思います。

 “豊かな感性こそが国を発展させる原動力になる。”このことを私は強く確信します。

 感性に富んだお子様を育てること、これは早期教育ソフトをお子様に無理に押しつけるよりも遥かに大きな成果をあなたのお子様の将来にもたらすでしょう。そして我が国の発展へとつながっていくでしょう。
“豊かな感性こそが国力”なのです。

お話の広場(その2)


感性。これは教えられてはじめて身につけるものではありません。全ての赤ちゃんが感性をたっぷり備えて生まれてくるでしょう。あふれるばかりの感性を心に備えて生まれてくるでしょう。
 赤ちゃんたちが生まれながらにして持っている豊かな感性。 これを守り育ててあげることが回りの人達の役目でしょう。

 天をつく大木も初めは小さな小さな芽ですよね。

“昔私も子供の頃に歌ったことがある小山の杉の子”

♪♪♪♪♪“これこれ杉の子”起きなさい〜。
お日さ〜ま、にこにこ声かけたぁ〜。声かけた〜。♪♪♪♪♪
(歌詞:吉田テフ子さん)

なんですよね。
 小さな小さな芽に優しいお日様の光と命の水とが与えらえてすくすくと育っていくのですね。

 誕生直後の赤ちゃんたちからは、第6章で述べますように



 などなどさまざまな働きかけがあります。この懸命の働きかけに優しく応えてあげましょう。小さな芽にお日様の光と命の水がたっぷり注がれるように・・・。

“すなお力”、“努力持続力”、“創造力”などなどをたっぷり身につけて、あなたのお子様が育っていくために、“豊かな感性”は最高の栄養源となるでしょう。

 私は一歳未満の息子をだっこしながら、よく散歩をしていました。花を見つけると“わぁ、きれい!”とほほ笑みながら叫んでいました。私は花を見るといつも心の底からそう思って、叫んでしまうのです。一歳未満の幼児であっても、とにかく同意してくれると思いますからね。

 ここでおことわりしたいことがあります。それは息子が私の“わぁ、きれいなお花!”という叫び声で“花は美しいものである”という知識を学習したのではないということです。この“おことわり”は何回繰り返しても繰り返し過ぎるということはないでしょう。
 何故なら息子は花に接した最初の瞬間から、花を美しい存在、少し手で触れてみたい優しい存在として認識していたに違いないからです。息子の花への思い。この思いは私の“わぁきれい”という声を耳にすることによってより強いものになったでしょう。


----------おことわり----------


 上の歌はお山の杉の子(『日本童謡百曲集』新興楽譜出版社(1980))の一部です。この歌は戦後の日本をとても明るくしてくれまして、私は小学生の頃、よく唄っていました。昨今の少し暗い子の世相、この歌を是非復活させたいものです。

 実は『お山の杉の子』の音符を載せたかったのです。そこで2012年11月7日(水)午後3時頃JASRACと以下のようなやり取りをしましたが、結局、音符の掲載は断念することにしました。申しわけありません。

以下はJASRACさんのネットワーク関連の人とのやり取りです。

私:「日本童謡百曲集(新興楽譜出版社)掲載のお山の杉の子のごく一部12小節をHPに引用したいのですが、著作権はどうなっていますか。どのくらいの著作権料を払うのでしょうか。
 このHPは子育て問題についてお話をさせていただくHPです。もちろん無料で自由に閲覧できるHPです。お話を楽しくさせるために音符を載せたいのです。」

JASRAC:「作詞家についてはJASRACとの契約はありません。従って詞を載せることは問題がありません。しかし音符を載せることには著作権料が必要です。JASRACに申し込んでください。」

私:「どの程度の支払いが必要でしょうか。」

JASRAC:「年額1200円です。1小節であろうと全体であろうと著作権料には全く関係がありません。」

私:「うーん、年額1200円ですか!!12小節でもですか?うーん、それは・・・少し・・・、再検討します・・・。私は年金生活。諦めることになるでしょうね・・・。」


なお、このやり取りをHPに載せることについては、JASRACさんのお許しを口頭で得ています。

 著作権については、この数年間で学生に講義をしてきました。
 “芸術、音楽など著作物の発展のために著作権侵害はつつしまねばならないことですよ”
 と教えてきたのです。しかし、電話でのやり取りは何かやりきれないものを感じました。・・・余りにも杓子定規ではないかと先生の私が感じてしまうのはいけないことかも知れません。著作権を守るという立場からは杓子定規が当然のことなんでしょうね。
 いづれにしても私の心にはちょっぴり
 “当店は十杯のコーヒーもあるいは一口のコーヒーであっても同じ値段ですよ”
 といわれた気持ちがなきにしもあらずでした。

 年間1200円の支払いを惜しんで音符を掲載しないことにしたケチな私をお許しください。

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